1886年 | 東京に生まれる |
1905年 | 東京美術学校に西洋画科に入学 |
1913年 | パリに渡り、モディリアーニ、スーチンらと交遊を結ぶ。 |
1919年 | サロン・ドートンヌに出品し全作品入選、会員に推挙される。 |
1925年 | レジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエ賞を贈られる |
1940年 | パリから帰国 |
1949年 | 渡米の後、パリに戻る |
1955年 | フランス国籍を取得。 日本芸術院会員を辞任。 |
1957年 | フランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ賞を贈られる。 |
1959年 | 君代夫人とともにカトリックの洗礼を受ける。洗礼名レオナール。 |
1966年 | ランスのノートルダム・ド・ラ・ぺ・フジタ礼拝堂を自ら建設 |
1968年 | 死去。日本政府より勲一等瑞宝章を追贈される。 |
1887年 | 帝政ロシア領ヴィテブスク(現ベラルーシ)にユダヤ系ロシア人として生まれる |
1900年 | 4年制の公立学校に入学。彫刻家、画家のオシップ・ザッキンは同級生 |
1910年 | パリに赴く。5年間の滞在の後、故郷に戻る |
1915年 | ベラと結婚 |
1923年 | パリの戻る |
1941年 | 第二次世界大戦の勃発後、ナチスの迫害を避けアメリカに亡命 |
1944年 | 同郷人で最初の妻、ベラがアメリカで病死 |
1947年 | 再びパリに戻る。 |
1950年 | 南フランスに永住を決意、フランス国籍を取得 |
1964年 | パリ・オペラ座の天井画を完成 |
1973年 | マルク・シャガール聖書のメッセージ国立美術館開館 |
1985年 | 死去 |
1881年 スペイン、アンダルシア地方のマラガに生まれる。 | |
1895年 バルセロナに移住、美術学校に入学。一月の猶予のある 入学制作を一日で完成させる。 | |
1900年 パリに移り、ロートレックらの影響を受ける。 | |
1901年 6月、パリで初の個展。「青の時代」の始まり。 | |
1907年 「アビニヨンの娘たち」制作。 | |
1936年 人民戦線政府の依頼により、「プラド美術館」の館長に就任 |
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1937年 『ゲルニカ』制作。 | |
1958年 『イカルスの墜落』制作(パリ、ユネスコ本部) | |
1973年 南フランスのムージャンで死去。 |